札幌地方裁判所 昭和41年(わ)800号 判決 1967年8月25日
被告人 山内義明 村田勉
主文
被告人山内義明を死刑に、被告人村田勉を無期懲役刑にそれぞれ処する。
被告人山内義明から押収してある剣先スコツプ一丁(昭和四二年押第二九号の五)を没収する。押収してある小切手帳四冊(昭和四二年押第二九号の八ないし一〇)、約束手形帳三冊(同号の一一ないし一三)、手提鞄一個(同号の一四)、チエツクライター一台(同号の一五)、実印一個(同号の一六)、ゴム印二個(同号の一七)、万年筆一本(同号の一八)、風呂敷一枚(同号の一九)、小切手六枚(同号の二〇ないし二五)、約束手形一枚(同号の二六)は、被害者遠山一郎の相続人に還付する。
理由
(被告人らの経歴および両名の関係)
一、被告人山内義明は、北海道天塩郡天塩町の開拓部落で生れ、付近の小、中学校を経て、昭和三一年四月中川高等学校に入学したが、中学校の備品を窃取したために旭川家庭裁判所で不処分決定を受け、五ケ月余りで同校を中退し、以後自宅で農業の手伝いや付近の建設現場で土工夫として働いていた。その後、昭和三五年二月自動車の運転免許を取るため、札幌に出て、タクシーの運転助手をし、翌年普通免許を取り、父からの資金援助もあつて、自動車を月賦購入し、いわゆる白タクの運転を始めたが、道路運送法違反、道路交通法違反、業務上過失傷害により四回にわたり罰金刑に処せられ、昭和三七年三月一九日には住居侵入、窃盗罪により、札幌地方裁判所において懲役六月、三年間執行猶予、保護観察に付する旨の判決を受けた。そして昭和三七年四月錦子と結婚し、子供二人をもうけた後は、白タクの運転をやめ、建築会社の運転手などをしていたが、顔見知りの水島一夫に誘われ、昭和四〇年三月ごろ同人の経営する土木建築業清澄産業に勤めていた。
二、被告人村田勉は、樺太で生まれ、昭和二三年ごろ両親に伴われて北海道に引揚げ、夕張市清水沢に居住し、同市の小、中学校を経て昭和三二年四月夕張南高等学校に入学し、同校三年で中退した。その後付近の建築現場で雑役夫として働いていたが、昭和三九年三月ごろ光子と結婚し、一たん余市に移った後、札幌に出て、同年八月末ごろ現住所に転居し、札幌市内の同和開発興業株式会社など一、二の建築会社で帳場見習いなどして働いていた。なお光子との間には一子がある。
三、被告人山内は、昭和四〇年七月ごろ前記清澄産業の運転手として働いていた当時、前記同和開発興業で働いていた被告人村田を知るようになり、偶右同和開発が倒産したため、同年一〇月ごろ、被告人村田を前記水島一夫に紹介して、清澄産業の運転手に就職させ、同じ職場で働くうちに、被告人両名は、特に親しい間柄となつていつた。しかし、被告人山内が、昭和四一年五月末日限りで清澄産業をやめることになつたので、間もなく被告人村田も退職し、二人してタクシー会社に運転手として応募したが、共に不採用になつた。そこで今度は二人共同でブルドーザーを使って仕事をする建設会社を設立しようと計画したが、なにしろ被告人らには全く収入の当がなく、預金も僅かばかりであつたことから、その資金に苦慮し、同年六月ごろ後に判示する保険金詐欺を企て、それによつて得た二〇万円程の金も一部普通乗用自動車の月賦代金にあてたほか、生活費に追われて、事業資金に回すことができず、その後も生活費に窮し、被告人らは親もとから借金などしたものの、被告人山内が一種のカーマニヤで普通乗用自動車の新車を次々に買いかえたため、頭金か、月賦代金の二、三回分を支払つたのみで、同年八月上旬ごろには残金債務を合せると二〇〇万円にものぼり、月賦代金の返済はおろか、被告人らはその日その日の生活にも追われる有様であつた。
(罪となるべき事実)
第一、被告人山内義明は、昭和四一年八月上旬ごろ前記のような状態では、将来事業資金はおろか、生活費にも窮するのみで、到底建設会社を設立することは不可能であると考え、前記清澄産業が下請をしていた建築請負業山一建設の経営者遠山一郎(当時五四才)がかなりの銀行預金を持っていることに目をつけ、いつそ、右遠山を殺害して三〇〇万円位の大金を入手しようと考え始め、札幌市平岸三条一四丁目同被告人宅において、被告人村田勉に「遠山社長のあとをつけて、社長を脅かし、交通事故を起したから、示談金がいるという手紙を書かせ、家のものに金を持つてこさせよう。社長はどつちみち殺すが、金が入つたら借金を返し、ブル(ブルドーザーの意)を買おう。」と打明けたところ、被告人村田も前記のように被告人山内とその立場を同じくしていたことから、「それはおれもいいと思うな。お前の案だったらいいからやるか。」とあいずちを打つてこれに賛成し、右計画の実行にとりかかつた。被告人両名は翌日ごろから同月中旬ごろにかけ数回にわたつて早朝よりトヨペツトコロナに乗り、右遠山を待ち伏せて、同人の運転するライトバンのあとをつけ札幌市美園や手稲町付近まで尾行したりした。そして右の尾行の第一日目に被告人村田は「遠山社長が騒いだら、手紙を書いても書かなくても殴つて首を締めよう。」と云つたり、被告人山内が「口で脅かして駄目だつたら、ドライバーを突きつけて脅かすか。」などと云つて、可成り具体的に犯行手段の打合せまで行い、それ以後被告人村田はドライバーを用意していたが、途中で遠山社長の車を見失つたり、いざ実行するという段になってから躊躇したりして結局右計画を実行することがいずれも不成功に終つた。しかしこのころ被告人らは生活費に窮する余り、四八万円で月賦購入し、頭金のほか月賦代を一回位しか支払っていないトヨペツトコロナを一八万円で転売するなどして、やつとその日その日のやりくりをしていたので遠山を狙う計画をあきらめきれず、更にその後は遠山を一定の場所へ電話で呼び出す計画をたて、同月下旬ごろ札幌市月寒中央通り四丁目山一建設に二回電話し、遠山を誘い出す口実として「山一の工事現場に見なれない車が材料を積んでいる。」と通報したり、「建売り住宅を買いたい人がいるから、一緒に行つてもらえないか。」などと依頼したが、遠山に断わられたりしたため、再び失敗した。
そこで被告人らは暫らく予定を変更し、親もとに金を無心したが、あまり金も入らず、前記同和開発の経営者であつた金内脩二(当時三六才)から手形二通(額面各六〇万円位)の融通を受けようと試みたこともあつたが、同年九月六日ごろまで同人の返事がなく、別途の金策も思うようにならなかつた。このころ被告人らは前記のように自動車を転売した先からは、その名義変更を迫られ、名義を変更するには月賦代金の残債の支払をしなければならず、又更に他の自動車の月賦代金についても八月分の支払が為されておらず、集金人に追い回され、逃げ隠れする有様にまで追いつめられて、早急に金銭入手の必要に迫られるに至つた。そのため、同年九月六日被告人山内は、どうしても道山を殺害して金銭を入手せんとの決意をかため、札幌市平岸六条七丁目合田文夫のアパートにおいて、被告人村田に対し、「道警の者だと云つて、遠山社長を信用させ、山一建設の手形偽造事件を調べているから、手形帳や小切手帳を見せて欲しいといえば、必ず持つてくるだろう。社長を誘い出したら、おれ達の車に乗せ、石山の滝の方へ連れていつて、おれが頭に手をやつたら、お前が首を締めろ、おれも車を止めて首を締める。死体はその辺に投げ、奪つた小切手帳を使つて金に換えよう。指紋がつかないように手袋をはめ、あとでおれ達が疑われても口を割らなければ、完全犯罪だ。明日やる。」と告げ、被告人村田もこれに全面的に同意した。そこで翌七日午前九時三〇分ごろから午後零時三〇分ごろまでの間、被告人山内が遠山を誘い出すため、三回にわたり「道警の者だ。」と称する偽電話を山一建設にかけたが、いずれも同人不在のため不成功に終つたので、更にその翌日の同月八日午前八時三〇分ごろ四回目の偽電話をかけ、遠山に「道警捜査二課の者ですが、お宅の手形偽造事件を調べているから協力して欲しい。既に金山脩二をつかまえて、今大物を捕えにいくので手形帳、小切手帳、それに用いる印やチエツクライターもその場で照合したいから持つてくるように。石山の陸橋の裏道を滝の方に入ったところまで来て下さい。」と伝えたところ、遠山はそれが偽電話であるとは夢にも思わず、道警の捜査に協力しようとして、指示どおり、小切手帳四冊(昭和四二年押第二九号の八ないし一〇)、約束手形帳三冊(同号の一一ないし一三)、実印一個(同号の一六)、ゴム印二個(同号の一七)、万年筆一本(同号の一八)在中の手提鞄(同号の一四)を風呂敷(同号の一九)に包み、その他チエツクライター(同号の一五)、カメラ各一台を所持して、自分のライトバンを運転しながら指定場所に向つた。
一方、被告人らは石山の陸橋を経て滝の方に通じる札幌市石山四区常盤一号橋の手前で道路脇の農道を約五〇メートル入つた所にトヨペツトコロナ(札五む五五―三二)を駐車させて待ち伏せていたところ、同日午前九時四五分ごろ遠山の車が同所を通過するのを見て、そのあとを追つた。しかし常盤一号橋が通行止めで、指定場所に行けなくなつたため、被告人山内は一時停車し、偶遠山と行き合わせたような振りをして、同人に近付き、「おれ達は清澄産業をやめた後、興信所に勤めているが、道警から手形偽造のことで協力して欲しいと呼ばれて来たところだ。」などと話しかけ、その後今来た道を引き返し、一たん遠山の運転する車を引き離して先行し、遠山が札幌石山四区招魂碑前中央バス停留所付近で追いつくのを待ち、「今道警の車に会ったら急いでいるから、社長をおれの車に乗せてこいと云われた。又道警から云われているものを一緒に持って来るように云つていた。」と言葉巧みに遠山を信用させ、同人に前記風呂敷包などを持たせて被告人山内の運転する車の助手席に同乗させ、被告人村田は後部座席に乗り、被告人山内が遠山に対し「石山五区を回る道路を知つていますか。」と尋ねてあたかも遠山に道案内させるが如く装い、石山陸橋を経て定山渓方向に車を走らせ、途中国道を左折して滝のある方向に向い、同人を殺害する適当な場所を捜し求めながら、車を運転するうちに、同日午前一〇時すぎごろ、同市石山六区穴の沢山道に至り、右山道の頂上付近の人里離れた寂しい所に差し掛つた際、被告人山内は遠山を殺害する格好の場所であると考え、かねての打合せどおり自分の頭に手をやつてそれとなく被告人村田に合図した。これを見て被告人村田は、直ちに後部座席から右腕で遠山の首を抱えるようにして締めつけ、被告人山内もすぐ自動車を止めて、後方にのぞけつたまま無抵抗の遠山の顔面を手拳で数回殴打したところ、同人は鼻や口から血をふき出して失神した。次いで被告人山内は一たん人目をさけるため、穴の沢山道から西方に約二〇〇メートル程入った山道まで車を運転して止め、同所で更に被告人らは失神状態にある遠山のネクタイをはずして、同人の首に二、三回巻き、両端を一しよに引張りながら締め続け、きつく結んで同人を窒息死するに至らしめ、前記風呂敷包みの鞄の中に入つていた小切手帳四冊他七点とチエツクライター、カメラ各一台を強奪し、
第二、被告人両名は共謀のうえ、前記犯行を隠ぺいするため、殺害した遠山一郎の死体を毛布に包んで前記トヨペツトコロナの後部トランクに詰め、一たん前記合田のアパートに帰つた後、同日午後三時ごろその死体を札幌市篠路町福移の原野まで自動車で運び、これを同所の溝に投棄し、その上に剣先スコツプ(昭和四二年押第二九号の五)で土を被せて、同人の死体を遺棄し、
第三、被告人山内義明は、興亜火災海上保険株式会社札幌支店との間に自己の家財道具につき、住宅総合保険契約を結んでいることを奇貨とし、盗難被害を仮装して保険金を騙取しようと企て、昭和四一年四月一日ごろ札幌市大通り西五丁目一一番地興亜火災海上保険株式会社札幌支店において係員三田村勲に対し、盗難被害を受けたことがないのに、同年三月一四日ごろ自宅においてテレビ一台ほか一六点(時価合計一六六、〇〇〇円相当)が盗難の被害を受けたから保険金を出してもらいたい旨虚構の事実を申し向け、盗難被害による保険金を請求し、同人をしてその旨誤信させ、よって同年四月八日ごろ前記会社において同人より盗難被害による損害保険金名下に額面一五五、二五四円の小切手一枚の交付を受けてこれを騙取し、
第四、被告人両名は、小栗国男と共謀のうえ、自動車事故を仮装して特急運輸株式会社から損害賠償金名下に金員を騙取しようと企て、昭和四一年六月一七日ごろ被告人村田において同社に自動車運転手として勤務し、一方同日ごろ前記三名において被告人山内使用の普通乗用自動車の前面を電柱に衝突させるなどして故意に右乗用自動車を破壊し、さらに同月一九日ごろ右乗用自動車の後部に被告人村田の運転する前記会社所有の貨物自動車を故意に追突させたうえ、同月二〇日ごろ札幌市菊水北町一丁目菊地自動車修理工場において前記会社業務部長橋谷倫政らに対し前記のごとく故意に破壊した事実を秘し、前記会社の使用人である被告人村田の不注意から追突されたため前記乗用自動車が破損したものである旨虚構の事実を申し向け、損害賠償金の請求をなし、同人らをしてその旨誤信させ、よつて同年七月四日ごろ同市菊水上町五二番地特急運輸株式会社において右橋谷より損害賠償金名下に額面一九九、五六〇円の小切手一枚の交付を受けてこれを騙取し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
なお、判示第一の事実につき、被告人村田は当公判廷において「捜査官に対しては犯行の際被告人山内の合図で自分が先ず後から腕で遠山社長の首を締めたと述べたが、それは事実と異なり、本当は被告人山内の合図で自分が社長のうしろから背中にドライバーを突きつけて脅し、被告人山内が盗品材料を種に社長から金を脅し取ろうとしたところ、社長が車のドアを半分位開けて逃げようとしたので被告人山内と共に社長を捕えて引き戻し、被告人山内がやつちやうべと云つてネクタイで社長の首を締め、殺害したものである。」と述べ、又被告人山内は当公判廷で水島一夫に依頼されて遠山を殺害したものであると述べており、弁護人も被告人らと同趣旨の主張をするのでこの点に関し、証拠関係を補充して説明する。
一、被告人らのドライバーで脅かしたとの供述について
被告人村田は、昭和四二年四月一一日の第一〇回公判期日において、突如として右の供述をしたもので、それまでは捜査の段階から一貫して被告人山内の合図で遠山社長の首を締めた旨供述していたものであり、捜査官に対し何故にそのような供述をしたかとの質問に対し、当公判廷において「昭和四一年九月一一日ごろ新得警察署での取調べの帰り、山内ばかり罪を重くすることは出来ない。ここまで来た以上お互に同罪にするため最初からおれが社長の首をしめたことにしようと、被告人山内と相談したためである。」と答えている。然しながら、この供述によつても何故に被告人山内をも含めて、被告人らに不利益な事実を相談してまで供述する必要があつたかはすこぶる疑問であるうえに、被告人村田の当公判廷における供述によつても九月六日合田のアパートで被告人山内から犯行計画を打ち明けられた際、「それだつたらあとでサツにすぐたれこまれるべと云つたら、山内はその時はその時よと答えたのでどつちにしろやる-殺害の意-はめになるなと思つていた。」とも供述しているのであつて、たとえ脅かして小切手を切らしても、そのまま被害者を家に帰せば、顔を知られているのであるから、警察に通報されてしまうであろうことは、被告人らにおいて当然予想していたものと考えるのが合理的である。このような情況において、結局被害者を殺害するのなら、被告人らは遠山きよ子に電話した時に、手形や小切手の書き方を聞いて知つていたのでもあるから、何故に脅かして小切手を書かせる必要があるのか、被告人らにおいても、小切手帳、印などを強奪した暁には自分らで小切手などを偽造するのはいとも容易であること、また当初遠山を尾行した際のドライバーを突きつけて手紙を書かせるという計画が、同人を呼び出して脅かしても、素直に書かないだろうということで結局中止になつていることなどを勘案すると、この点に関する被告人らの当公判廷における供述は信用することが出来ない。被告人山内は当公判廷において「社長をねらつた当初から、社長を殺して小切手帳などを奪う計画は被告人らの間で話されており、九月六日合田のアパートで被告人村田と本件犯行を相談した際にはドライバーで脅かすと云う話はしていなかつた。ドライバーで脅かすことは、遠山さんを待つていた場所に行つて思いついた。」旨供述しており、この点被告人村田の「九月六日の昼すぎ合田のアパートで、山内が社長にドライバーを突きつけて小切手を切らせると云つた。」という当公判廷における供述とも合わず、被告人村田は検察官に対し山内が指紋がつくといけないから手袋をはめるべといつた。犯行の日の朝山内がお前社長の首を締められなかつたらお前運転していくか、おれがやるからと一たん云つたが、山内の方が道を良く知つているということで、やはり私が首を締めることになつた。」などと供述し、更に「社長の首をうしろから抱える様にして締めつけ、身体を後部座席に沈めて、体重をかけた。」などとも供述しており、その供述の内容、および具体性などに、遠山を同乗させて走行した距離や、犯行現場が人里離れた山中であることなどを併せ考えると被告人らの捜査官に対する供述は十分信用出来るといわざるを得ない。
二、水島一夫にそそのかされたとの供述について
この点について被告人山内は搜査官に対し一たん水島にそそのかされた旨供述したが、更に右供述を全面的にひるがえし、自己の刑事責任を軽くしようとしてうそをついた旨供述していたが、更に当公判廷において三転し、やはり水島にそそのかされたものであつて、検察官の面前で一たん供述を撤回したのは検察官からこのように供述することは、被告人にとつて極めて不利であると云われたためである旨供述している。然しながら、水島一夫に遠山を殺す必要があつたとは認められないばかりでなく、同人も、当公判廷において被告人山内と共に山一建設で使つていた自動車のガソリンタンクの中に砂糖を入れたことは認めているが、遠山の殺害を依頼したことは全面的に否認しており、このようなさ細なことを共に行つたと云うことと、殺害まで依頼したということとは、質的にもかなり相違しており、又被告人山内の捜査機関および当公判廷における供述をつぶさに検討するに、水島との間に殺害の報酬について何んら具体的な約束がなされておらないうえ、犯行後水島に対し、犯行の結果を報告していないこと、又その供述内容は一貫性を欠き、ある時は他に二人共犯がいると述べたり、一たんは昭和四一年八月三〇日ごろ警察の名前をつかい、小切手偽造のことを種に社長をおびき出すべく、水島と相談したと供述しながら、他方では小切手帳を奪う話は、同月上旬ごろ社長をねらう際に既に出ていた計画であり、最終的に言うと、水島から頼まれてやつたとは言えなくなつてしまうなどと相前後して矛盾した供述をしている部分もあり、又被告人山内が八百長喧嘩だと当公判廷において供述している水島と山内との残業手当をめぐる電話のやりとりも、その供述状況や内容などからして八百長喧嘩とは到底認められないことなどを勘案すると、被告人山内が虚構の事実を撤回し、何故に嘘をついたか、その理由を詳細に説明している被告人山内の検察官に対する昭和四一年一〇月三日付供述調書が、最も合理的であつて疑いをさしはさむ余地がない。
よつて被告人両名ならびにその弁護人らのこの点に関する主張は採用しない。
(法令の適用)
被告人両名の判示所為のうち、判示第一の所為は刑法六〇条、二四〇条後段に、判示第二の所為は同法六〇条、一九〇条に、判示第四の所為は同法六〇条、二四六条一項に、被告人山内の判示第三の所為は同法二四六条一項にそれぞれ該当するが、被告人山内に対し、判示第一の強盗殺人罪につき後記の情状に照らし、所定刑中死刑を選択し、判示第一ないし第四の各罪は同法四五条前段の併合罪の関係にあるが、そのうちの一罪につき死刑を処すべき場合であるから、同法四六条一項本文により、他の刑に科さず同被告人を死刑に処し、被告人村田に対し、判示第一の強盗殺人罪につき後記の情状に照らし、所定刑中無期懲役刑を選択し、判示第一、第二、第四の各罪は同法四五条前段の併合罪の関係にあるが、そのうちの一罪につき無期懲役刑に処すべき場合であるから、同法四六条二項本文により、他の刑を科さず、同被告人を無期懲役刑に処し、押収してある剣先スコツプ一丁(昭和四二年押第二九号の五)は、判示第二の死体遺棄の犯行に供した物であり、犯人以外の者の所有に属しないから、同法四六条一項但書、一九条一項二号、二項により、これを被告人山内から没収し、主文第三項掲記の物は、いずれも判示第一の罪の賍物であつて、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により被害者に還付すべきところ、被害者遠山一郎は既に死亡しているから、同人の相続人にこれを還付することとし、訴訟費用は同法一八一条一項但書により被告人両名に負担させない。
(量刑の理由)
被告人山内は、開拓部落に生れ、幼い時父は出征し、母一人で育てられ、小学五、六年のころ父が復員して来たのに、父子の情をこまやかにするに至らないまま、わずか一九才の若輩で札幌に出て自活の道を歩むに至つたその経歴、境遇には同情すべき点があり、社会秩序の自覚に欠ける人格を形成した責任をひとり被告人山内に負わせるべきではなく、また、本件の犯行が発覚した後、逮捕勾留されるにおよび自己の犯した犯罪の重大性に気付き、自殺まで企てて失敗に終り、現在ではキリストに救いを求め、極刑の裁判をも素直に受けうる心境に達しているなど改悛の情が認められる。しかしながら、判示第一の犯行は、被告人らが自己の金銭的欲望を満足させるために被害者を誘拐し、何物にも換え難い貴重な生命を奪い取つた強盗殺人事件であつて、その罪質は極めて重大である。そもそもその犯行の動機は、自己の経済的苦境を打開し、将来の事業資金を得ようと一獲千金の欲望を抱いた点にあるが、その経済的苦境は、職もなく、何ら収入がないのに次々と普通乗用自動車を月賦購入するといった生活の無秩序に由来し又その経済的苦境を打開するには、他にいくらも方法があつたにもかかわらず、それを選ばずに、あえてこの行為に出たのであつて、欲望実現のためには手段を選ばず、他人の生命を犠牲にすることを厭わない人命軽視の反社会性が認められ、犯行の動機において被告人らに同情する余地は全くない。
しかもその犯行は、判示のとおり、極めてしつように、遠山一郎の銀行預金をねらつて約一ケ月にわたり同人をつけ回し、最終的には警察の名前を使っておびき出し、やにわに無抵抗の同人を締め殺したものであつて、大胆不敵かつ巧妙な手口と犯行意思の強固な点において世に稀な犯行である。特に被告人山内は、絞殺の最中においても被害者の胸に耳を当てて、心臓の鼓動を確かめるなど、全く鬼畜に類する残虐性を思わずにはいられない。更に殺害後、死体を自己の自動車の後部トランクに隠匿したまま、事件が発覚したかどうかを確かめるなどのために平然と被害者宅に電話をかけ、疑しまれていると知るや、直ちに死体を自動車で運搬して原野の土中に投げ入れて遺棄し、その後関係証拠品を次々に場所を変えて捨てるなどして、証拠湮滅をはかり、自己の犯跡をくらますことに腐心するなど、これら犯行の前後を通じての被告人らの挙動には、測り知れない反社会性が窺かれる。
一方、被害者遠山一郎は、昭和二九年ごろから独立して土本建築業山一建設を営み、その経営は堅実で本人も地味地に良く働き世間の信用も受け、やつと生活も安定し、家族と共に平和な暮しを営んでいた矢先の出来事であつて、何んら責めらるべき点がないのに、たまたま被告人らと顔見知りであつたため、その貪欲の犠牲となり、尊い一命を奪い去られる災厄に遭ったもので、このことにより遺族は一瞬にして不幸のどん底につき落され、事業は解散し、被害者の家族にはいまだ大学三年の長男、高校三年の三女、小学校六年の次男がいるが、今後の見通しも立たないなど、遺族に与えた打撃、特に老後のたよりである夫を失つた妻の心痛は、察するに余りあるものがあり、特に被告人らは、以前山一建設の下請会社に働いていたことがあるなど、被害者に恩を受けている一面をも考えると、被告人らの刑事責任が如何に重大であるかを痛感せざるを得ない。
又本件が会社の社長を誘拐して殺害すると云う点において、最近続発した一連の誘拐事件と共に、その社会的非難と社会的影響が如何に大であつたかは今更云うまでもない。
そして、被告人山内について考えるに、本件強盗殺人の前後における行為を通して見られる極めて奸智に富んだ計画的かつ大胆な行動は、全く傍若無人というのほかはない。そして本件強盗殺人は、被告人村田の協力がなければ実行できなかつたとはいえ、その計画、実行の面において、被告人山内が終始主導的、積極的な役割を果しており、被告人村田を誘い入れた点を見逃すべきではない。本件犯行は被告人山内の当意即妙な虚言癖、無情冷酷な即行性に由来するところ極めて大にして、この性格的傾向は既に若年のころからそのきざしを見出しうるのであつて、同被告人の性格、事案の態様、犯情等に鑑み、天、人ともに許さない全く極悪非道の行為であり、同被告人の反社会的人間性は許すことができない。
よつて、被告人山内に対しては、前述の情状のほか同被告人の年令、境遇その他同被告人に有利と認められる一切の事情を考慮しても、極刑をもつて処断するほかない。
被告人村田は、被告人山内から誘われるや、容易にこれに賛成し、終始被告人山内と一体となつてかかる重大犯罪を犯したものであり、被告人村田の協力がなければ、犯行を完遂できなかつたであろうと考えられ、その罪責もまた極めて重いといわなければならない。しかし、本件犯行に加担するに至つた経緯およびその役割は常に従属的であり、無批判的に付和雷同する性格的な弱点はあるが、特異な危険性を有するとまではいえないので、以上の情状のほか、同被告人の年令、境遇、改悛の情その他諸般の情状を総合考慮し、同被告人を無期懲役刑に処するのが相当であると考える。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 萩原寿雄 白井皓喜 小山三代治)